お猫様の下僕の 日々、是れつれづれ。

「生きるって色々あるよね」な人生呟き。

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壁はまだあるか。

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世の中的には三連休だった週末、実家とそちら方面に住んでいる友人に会いに行ってきました。

ついでに断捨離で整理した着物も、着物好きの友人に格安で引き取って貰いました。

好みはあれど、我ながら質の良い着物を持っていたなあ、と思いましたです。まあ、ちょっと懐古的な雰囲気の着物が多いんだけれどもね(でも今流行だっていうし昔風の)

久しぶりに会いましたが、まあ、お互いに丸くなったかなという感じでしたね。良い感じに笑ってお茶してご飯食べて飲んできました。うん、楽しかったです。

 

次の日は実家に顔出し。

ご高齢の親御さんたちですが、まだおボケにはかかっておらず幸い。

うちの親父殿は、自分の考えと理解以外のものは切り捨てて、改善とかちょっと考えを変えてみるということをしない。相手の身になってみる、ということも、「ちゃんと意見を聞いた。言わない相手が悪い」聞く姿勢と態度がなく相手が萎縮し言えない口調と態度で言うのは、相手を押し込めよう従わせようとするモラルハラスメントだと言っても「お前が何を言っているか分からない」とそっぽ向く人です。

つくづく、前の母が泣いていたわけだと、お金さえあれば出て行けるのにと言っていたわけです。モラルハラスメント男の典型的なヤツです。

実家の土地柄の「嫁はよそ者使用人、孫はできが良ければ息子の子、悪ければ嫁の子」みたいなところで長男としてちやほややり放題で育った男なので、頭の中が古くて腐っているんですよ。

それでも、そんなクソッタレの所に来てくれたお母さんがものすごく常識人でですね、そのお陰で田舎の常識(曰く非常識)ではなく『通常の』常識を散々に言い聞かせてくれ続け、馬鹿親父のフォローをしてくれたお陰と、年を取ったのもあり「まあ、そうだな」なんて言葉が聞かれるようになったんですね。

生きているときの自分の葬式の話や家の墓に入る入らないだのの話も、前は「馬鹿なことを言うな、話すな」で怒りだして話はそこまででしたが、ここ数年は。

 

「葬式は大変だもんな」

↑自宅でやる気満々だった。自分の姉妹の非常識っぷりをやっと理解し、昔々のように近所の女性陣が手料理を用意して男性のためだけの席を用意するなんてもうやらないというのをやっと理解し、それを抜きにしてもお母さん一人で仕切るのは大変(近場に子供達はいない)だとやっと理解して、会館ですると決めた

 

「(墓に入りたくないのは)それぞれの考えがあるからな」

↑前は「家に入ったんだから家の墓に入るのが当然だろう!お前はおかしい!」だった。お母さんと私は家の墓に入りたくない派。共同供養墓地派。

 

「いろいろまとめておかないとな」

↑必要費用の話をすると「その辺に放っておくわけにもいかないんだから誰かが葬式をあげるだろう」だったので、その誰かがお金なかったら葬式自体無く周知もせず燃やして埋めるだけになる、それにだってお金かかるのに他人にお金出させるのか、自分の最後くらい自分で面倒見られないのかせめてお金くらい用意して何時も自分で言ってるような『男らしい』有様は見せられないのか、と言った。思うところがあったらしい。

 

『家族』という繋がりはあっても、妻も子供も『自分の所有物』ではないということに、一人の確固とした意見と尊厳を持つ存在だということに、遅ればせながら、とっても遅いけれども、気付いたようです。・・・理解には未だ到っていない、うん。

それ以外の所でも、親御さん共に『終活』を意識しているのは、心構えとして嬉しいです。・・・ゴミを残されれても困るからさ(笑)

 

まあ、自分が『休暇中』だということは伝えていないんですがね。

『休暇』が延びるときには、言おうと思います。